大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和40年(ネ)984号 判決 1969年4月28日

控訴人・原告 株式会社大倉洋紙店

訴訟代理人 荻野定一郎 外二名

被控訴人・被告 安田物産株式会社

訴訟代理人 岡田実五郎 外二名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し金一六、三三七、八二六円およびこれに対する昭和二五年一二月一二日より昭和二六年一二月二〇日まで年一割、昭和二六年一二月二一日より完済にいたるまで金一〇〇円につき日歩金三銭の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

この判決は、第二項に限り、控訴人において金五、〇〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は主文第一項ないし第三項同旨の判決および仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、次に附加するほか、原判決事実欄記載のとおりであるから、これを引用する。

第一控訴人の主張

一  仮りに本件準消費貸借契約に要素の錯誤があつたとしても、被控訴人には次のような重大な過失があるから、その無効を主張することはできない。すなわち、被控訴人が控訴人り従業員広井金吾から再建資金として年内に三〇〇〇万円を融資する旨の言を信じて本件準消費貸借契約を締結したとすると、右金員の年内融資ということは双方にとり重要な問題であるばかりでなく、当時の三〇〇〇万円は相当多額な金員であるから、被控訴人としては、控訴人との間に、覚書、念書その他の書面を取り交わすか、または控訴人の代表取締役と直接面談する等の方法により事前に控訴人の意思を確認するための措置を講ずべきであるし、また控訴人の融資能力についても積極的に調査すべきであるにもかかわらず、ただ漫然と控訴人の一介の従業員の言のみを信じて右のような措置を怠つたのであるから、被控訴人に重大な過失があるといわなければならない。

二  被控訴人主張の第二の四の事実は認める。

三  仮りに本件準消費貸借契約が無効または取り消されたとすれば、右準消費貸借契約は被控訴人の控訴人に対する原判決添附目録記載の一七通の約束手形金債務合計金一六、三三七、八二六円を目的とするものであるから、予備的に、控訴人は被控訴人に対し右約束手形金員の支払を請求する。

四  被控訴人の第二の五の主張に対し、請求の基礎ということをどのように解するにしても、約束手形金債権を請求原因とする訴とこれを目的とする準消費貸借による債権を請求原因とする訴とはその請求の基礎を異にするものではない。

五  被控訴人の時効の抗弁に対し、本件約束手形金債権の消滅時効は左記理由によりいまだ完成していない。

(1)  本件約束手形金債権の消滅時効はいずれも進行していない。

原判決添附目録の約束手形一七通のうち第一ないし第六および第八の七通は、本件準消費貸借契約が締結された昭和二五年一二月一二日以前にその満期が到来しているが、準消費貸借契約は債務者が既存債務の存在を承認したうえで締結するものであるから、右七通の約束手形金債権の消滅時効は被控訴人のこれによる承認によつてそれぞれ中断されたことになる。ところで、中断した時効はその中断事由の終了した時からさらに進行するものではあるが、本件においては右準消費貸借契約の締結が控訴人において右約束手形金債権を行使することにつき法律的障害となり、消滅時効はその後進行していないのである。すなわち、被控訴人は右準消費貸借契約が要素の錯誤により無効である旨主張し、控訴人よりの右契約に基づく本件反訴による請求を争い、現に右準消費貸借の有効、無効が本件の争点となつているのであり、しかも控訴人側からの錯誤による無効の主張は許されないのであるから、本件準消費貸借契約の無効が確定判決により明確となつて始めて、控訴人としては被控訴人に対し旧債務たる約束手形金債務の履行を求めうるにすぎない。したがつて右七通の約束手形金債権はその後時効中断の状態のまま今日にいたつているといわざるをえない。

また、右七通以外の約束手形については、原判決添附目録第九の手形は右準消費貸借成立の昭和二五年一二月一二日に、その他の手形はいずれも同日以降にそれぞれ満期が到来した。しかしこれらの手形債権も、右七通の手形と同じく本件準消費貸借契約の締結がその履行の請求につき法律上の障害となり、その消滅時効は同様に進行しないまま今日にいたつているのである。

(2)  仮りにそうでないとしても、控訴人が昭和二七年五月一七日本件反訴状を裁判所に提出したことにより右各約束手形金債権の消滅時効は中断している。すなわち、控訴人は右反訴状の請求原因中に旧債権の約束手形金債権を表示しているのであるから、準消費貸借に基づく右反訴請求にはその基礎たる約束手形債権の請求をも含むものとして、これについても時効中断の効力を生ずるものである。

第二被控訴人の主張

一  本件融資の約定は、昭和二五年一二月上旬、控訴人の代理人広井金吾および宇治田暁則と被控訴人の代表者加藤新およびその代理人今野勝久との間において、控訴人から被控訴人に対する融資総額二〇〇〇万円、同月一二日抵当権設定登記をすると同時に融資義務が発生し、そのうち少くとも五〇〇万円は同年中に融通することを約したものである。

二  本件準消費貸借契約は抵当権設定契約のため便宜上なされたもので、これと一体をなすものであるところ、これら契約の締結に当つては、右融資の約定が有効に成立することを前提とし、かつそのことは当事者間に明示されていたのである。そしてもし右融資の約定が成立しないか、または無効であるとすれば、本件準消費貸借契約もまたなされなかつたことは明白なのであるから、融資約定の有効な成立は本件準消費貸借契約の要素となつていたものである。

三  控訴人の第一の一の主張は争う。仮りに被控訴人に重大な過失があつたとしても、元来民法第九五条但書で表意者に重大な過失があるときは無効の主張を許さないとされたのは、善意の相手方を保護し、もつて正義と公平の理念および取引の安全の要請に応じようとするものであるから、相手方が故意または過失によつて表意者を錯誤に陥し入れた場合には、かかる相手方は、右の規定により保護するに値するものではなく、表意者の重過失を理由としてその錯誤の主張による不利益から免れしめるべきではない。本件の場合は、控訴人の被用者広井または宇治田が故意に被控訴人を錯誤に陥し入れたのであるから、控訴人はその被用者の行為につき責任を負うべきであつて、この観点から控訴人は被控訴人の重過失を主張することは許されないのである。

四  本件準消費貸借契約が詐欺であることを理由になされた被控訴人の第二次の取消の意思表示は、昭和三一年九月一一日の本件準備手続期日において被控訴人の代理人杉田伊三郎および同佐々木熙から控訴人の代理人荒鷲文吉に対しなされたものである。

五  控訴人の予備的請求に対し、その追加的訴の変更は従来の準消費貸借契約に基づく請求にその対象となつた約束手形金の請求を追加するものであるから、両請求の間には請求の基礎に変更があり許さるべきでない。

六  仮りにそうでなく、また控訴人がその主張の約束手形金債権を有するとしても、各手形金債権はその満期から三年を経過したことにより時効によつて消滅しているから、これを援用する。

七(1)  控訴人は、被控訴人が本件準消費貸借契約の効力を争つている間は約束手形金債権の履行を請求することができないと主張するが、準消費貸借の効力につき争いがあつたとしても、控訴人において仮定的請求として基本債権の履行の請求をすることになんらの障害はないはずである。また準消費貸借が成立したとしても、必ずしも旧債務が完全に消滅するとは限らず、ことに手形債権については旧債務は消滅しないのを原則とするばかりでなく、本件においては準消費貸借は単に抵当権設定の便宜のためにすぎないから、控訴人としては基本債権たる約束手形金債権を行使することはできるわけであつて、控訴人の主張は当らない。

(2)  控訴人は本件反訴状により約束手形金債権の履行を求めたと主張するが、同反訴状においては準消費貸借に基づく債権の履行を請求しているにとどまり、約束手形金債権の行使をしていないことは明らかであるから、これをもつて約束手形金債権についての裁判上の請求をしたということはできない。たとい反訴状の請求原因の項において基本債権の事実を記載したとしても、右のことには変りはないのであるから、この点についての控訴人の主張も理由がない。

第三立証関係<省略>

理由

一  被控訴人の昭和二五年当時の商号が文化印刷株式会社であつたこと、被控訴人が控訴人主張の原判決添附目録記載の約束手形一七通(額面合計金一六、三三七、八二六円)を、そのうち同目録記載の第八ないし第一七の手形については控訴人を受取人としてそれぞれ振り出し、被控訴人がこれらすべての手形の所持人となつていることは当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第五号証の一ないし七によれば、右目録記載の第一ないし第七の手形は訴外大洋交易株式会社を受取人として振り出され、控訴人が裏書により譲渡を受けていることが認められ、また控訴人が右のうち同目録記載の第一、二および第七の手形を満期に支払場所に呈示したがその支払を拒絶されたことは当事者間に争いがないところである。

そして成立に争いのない甲第一ないし第三号証、同第九号証の一ないし三、乙第二号証および弁論の全趣旨によると、被控訴人は控訴人との間に昭和二五年一二月一二日、前記一七通の合計金一六、三三七、八二六円の約束手形金債務を目的として、弁済期昭和二六年一二月二〇日、利息は金一〇〇円につき日歩金三銭、毎月二〇日限りその月分を支払い、期限後は同額の遅延損害金を支払う旨の準消費貸借契約を締結し、同時にこれを被担保債務として被控訴人所有の志村、小豆沢、神田の各工場の土地、建物、機械等について控訴人のために抵当権を設定する旨の契約を締結し、翌一三日神田工場を除きその旨の登記を経たこと(右被担保債務のため被控訴人所有の物件につき抵当権が設定されその登記がなされたことは当事者間に争いがない。)が認められる。

二  そこでまず右準消賃貸借契約が錯誤により無効であるとする被控訴人の主張について判断する。

成立に争いのない甲第七号証、同第一一号証の一ないし三(広井金吾、宇治田暁則の各供述調書)、同第一二号証の一、二(梅津重雄の供述調書)、同第一三号証の一、二(宇治田暁則の供述調書)、乙第一号証、同第七号証の一、四、五(渋谷豊盛、庄司長城の各供述調書)、同第八号証の一、二(加藤新の供述調書)、同第一〇号証の一、三(右同)(後記措信しない供述記載を除く。)と前記一の事実を総合すると、控訴人は前記のとおり被控訴人振出の手形が一部不渡りとなつたので、これら手形債権の処理を取締役宇治田暁則に担当させ、同人はさらに営業部員広井金吾らを被控訴人方に派遣して被控訴人の資産および営業状態を調査させるとともにその債権の履行確保に努めさせたこと、被控訴人としては当時約七〇〇〇万円の債務を負い、営業は断続していたものの運転資金に窮し従業員の給料をも支払い得ない苦況にあつたため、被控訴人の代表取締役加藤新は、自らまたは取締役今野勝久らを通じて広井、宇治田らに再三にわたつて二〇〇〇万円程度の融資を要請し、また年内には五〇〇万円の融通を求め、これらにより右の窮況を切り抜けようと図つたこと、一方広井、宇治田らは右融資の要請に対しては確定的な返答を避けたが、確実な手形なら割り引いてよいといい、またその間給料の不払いで動揺している従業員をしずめるため、被控訴人側の求めにより、広井が従業員の会合に出席して会社を潰すようなことはしないから安心して働くよう話したこと、このように広井らが被控訴人の融資の要請を明確に拒否しなかつたことから、右加藤は控訴人より所要の資金を得られるものと期待するにいたり、広井より控訴人の債権のため被控訴人の各工場に抵当権を設定するよう要求されるや、これに応じさえすれば確実に期待どおりの融資が得られるものと信じ、その目的の下に容易にこれを承諾したこと、そして前記のとおり本件準消費貸借および抵当権設定契約が締結され登記が経由された後、控訴人は被控訴人の求めにより数通の約束手形額面計約一〇〇万円を割り引き七〇万円を交付したが、それ以上の融資については被控訴人よりの強い要請にもかかわらず、控訴人は遂にこれに応じなかつたことが認められ、右認定に反する前示乙第七号証の一、四、五、同第八号証の一、二、同第一〇号証の一、三および同第七号証の一、三(浅野吉正の供述調書)、同第九号証の一、二(今野勝久の供述調書)、同第一一号証の一、二(太島巌の供述調書)、同第一二号証の一、二(庄司長城の供述調書)、同第一三号証の一ないし四(今野勝久、中本道義、桜井一男の各供述調書)、甲第一〇号証の一、二(乙第一三号証の一、二と同じ)の供述記載ならびに原審証人桜井一男の供述部分は前示証拠に照し信を措き難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、被控訴人の代表者加藤新においては、本件準消費貸借および抵当権設定契約をするに当り、融資につき控訴人の承諾を得たものと誤解し、右契約を締結すれば期待どおりの融資が得られるものと信じたにもかかわらず、その後予期どおりの融資が得られなかつたのであるから、その点において右加藤には錯誤があつたものということができる。そして成立に争いのない乙第一四号証の一、二および弁論の全趣旨によると、被控訴人は控訴人を被告として右抵当権設定契約が要素の錯誤により無効であると主張してその登記の抹消登記手続を求める訴(東京地方裁判所昭和二六年(ワ)第五〇八三号)を提起し、昭和三〇年一二月二六日これを認容する判決を受け、さらにその控訴審(東京高等裁判所昭和三一年(ネ)第二三六号)においても、昭和三一年一一月一〇日右一審判決を維持する旨の判決を受け、その後同判決は確定するにいたつたことが認められる。ところで抵当権設定契約が右のように要素の錯誤により無効であるとしても、これと同時に締結された本件準消費貸借契約が同様の理由により無効であるかどうかは、さらに慎重な検討を要する問題である。

本件準消費貸借契約は抵当権設定契約を締結する前提として同時に約定されたものであつて、両者が密接な関係にあることは被控訴人主張のとおりであるが、しかしそうだとしても、両者の有効無効が必ずその帰を一にしなければならないものではない。けだし、一箇の法律行為においてさえ、一部無効が認められ、無効な部分を除いては当該法律行為をしなかつたであろうと考えられる場合にのみ他の部分が無効となるにすぎないと解されているからである。本件の両契約の締結された主たる目的が抵当権の設定にあつたことは疑いのないところであるが、しかしそうだからといつて、準消費貸借契約のみを切り離しては、契約目的からみて無意義になるというものではなく、またこれのみを有効としてもそれによりいずれかの当事者に不測の不利益を生ぜしめるわけのものでもない。したがつて両契約の有効、無効は可分に考えてよく、またその無効事由は各別に判断して差し支えないというべきである。ところで本件において無効事由とされる被控訴人の錯誤は契約に応ずれば融資が得られるという明示の動機にあつたというのであるから、その錯誤は右いずれの契約の成立過程においても同様にこれを認めざるをえないが、しかし、他方、明示された動機の錯誤といつてもそれがすべての契約につき等しく要素の錯誤となるものではなく、それが要素の錯誤といいうるには、当該契約の内容、性質と対比してそれとの関係における重要性が認められる場合、すなわちその動機の錯誤がなかつたならば通常当該契約を締結しなかつたであろうと認められることが必要である。そうだとすれば、本件における右の動機は抵当権設定契約についてこれを契約の要素と認めうるとしても、本件準消費貸借契約についてはこれと同様な重要性をもつて理解することはできない。すなわち、右準消費貸借契約は前記のとおり控訴人の既存の手形債権をもつて消費貸借の目的とするとともに、利息、遅延損害金につき約定する反面、弁済期を約一年後の昭和二六年一二月二〇日に延期するものであつて、経済的には被控訴人にとりむしろ有利ともいうべきであるから、前示動機の錯誤がなかつたならば右準消費貸借契約を締結しなかつたであろうという関係は到底これを認めるに由ないところである。よつて右準消費貸借契約には要素の錯誤はないといわざるをえないから、被控訴人の錯誤による無効の主張は理由がないとして排斥を免れない。

三  次に被控訴人は控訴人の代表者または広井らが融資する意思がないのに融資すると欺罔して本件準消費貸借契約を締結させたから詐欺により取り消すと主張する。しかし、前記認定の事実によると、控訴人代表者はもちろん、広井らにおいて融資の意思またはその見込みがないのに融資する旨申し向けて故意に被控訴人を欺罔したものでないことはいうまでもないところである。もつとも広井、宇治田らにおいて被控訴人代表者らをして融資を期待しうるような印象を与える若干の言動のあつたことは前記認定のとおりであるが、それらの言動はそれ自体ただちに欺罔行為といいえないことは前記認定の経緯に照し明らかであるのみならず、後に手形割引の方法により若干の融資が行われている前記認定の事実に徴すると、当時融資の見込みが全くなかつたものではないといわざるをえないから、同人らに欺罔の故意があつたとすることもできない。また本件準消費貸借契約に当り被控訴人からの多額の融資の要請に対し諾否の返答を明確にしなかつたとしても、さらにはまた被控訴人が融資を受け得るものと信じているのを打ち消さないで契約を締結したとしても、これらの所為をもつて故意による違法な欺罔行為といいえないこと右認定の事実に徴し明らかなところである。そして他に控訴人側において詐欺に該当する行為のあつたことについては、前示措信しない証拠を除き、これを認めるに足りる資料はないから、被控訴人の右主張も採用することはできない。

四  してみると、被控訴人は控訴人に対し本件準消費貸借契約に基づく債務の履行、すなわち金一六、三三七、八二六円および右契約の成立した昭和二五年一二月一二日よりその弁済期たる昭和二六年一二月二〇日まで約定利率以下の年一割の割合による約定利息、その翌日より完済にいたるまで約定の金一〇〇円につき日歩金三銭の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、これが支払を求める控訴人の本訴請求はすべて理由があるといわなければならない。

よつて、これと異なる原判決は失当として取り消し、控訴人の本訴請求を認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木義人 裁判官 高津環 裁判官 弓削孟)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例